この町には、私の民が大勢いる

(追分めぐみチャペルの歴史)

このページでは、追分めぐみチャペルの30年の歴史を紹介しています。

9つに分割して記述しています。


この町には、私の民が大勢いる・1

追分は札幌新生教会の由緒ある伝道地で、1932(昭和7)年に伊藤馨師によって伝道が開始されました。信徒宅や婦人会館などで、集会が開かれました。

1983(昭和58)年頃、「この町には、私の民が大勢いる」(使徒言行録18:10)の御言葉が与えられ、追分に伝道所開設を願う祈りが積まれるようになりました。

1993(平成5)年4月、峯野良恵伝道師が札幌に赴任し、追分伝道の担任となりました。当初、良恵師は札幌に住み、日曜礼拝と木曜祈祷会のご用のために追分に通いました。札幌新生教会の小林浩師夫妻は、祈りながら追分町内で会堂に相応しい物件を探し、一人のクリスチャンを通して、本町二丁目の旧村田医院を借り受けることができました。そこは地域の信頼度が高く、教会として使うために備えられていました。体を癒やす場が、魂を癒やす場に変わりました。

伝道所の名称は、詩編136:1の「恵み」にちなんで、「追分めぐみチャペル」に決まりました。1993年7月25日、黒木安信師(浅草橋教会)の司式により、開設・聖別式が執り行われました。

旧村田医院の会堂



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旧村田医院を改装した会堂は、神様が選んでくださった最善のものでした。1階を礼拝堂とし、2階を区切って牧師館としました。広いロビーは、映画会やチャリティーバザーなど、大人数での行事に役立ちました。

礼拝では、信徒が司会を務め、峯野良恵師が奏楽と説教をしました。週報は良恵師が手書きで作りました。

2年目には、キッズ・コワイア(子ども聖歌隊)が結成されました。チャレンジ・クッキングも始まりました。これは、料理の苦手な良恵師が子ども伝道のために神様から示された企画で、子どもたちが良恵師に料理を教える会でした。

小さい体で精一杯伝道した峯野良恵師は、1996(平成8)年に淀橋教会へ転任となり、後任として小倉政応・ひとみ師夫妻が着任しました。礼拝では、政応師が説教、ひとみ師が奏楽を担当しました。

同年秋、チャペルに自動車が与えられ、伝道に機動力が加わりました。翌年、小倉師夫妻は、4コマ漫画入りの『グレース タイムズ』というトラクトを毎週作り、追分駅前で配り始めました。

旧村田医院の会堂での礼拝(峯野良恵師)



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1997(平成9)年、小倉師夫妻に望都(もと)ちゃん(女児)が誕生しました。チャペルの人気者になりました。

1999(平成11)年、チャペルに最初の受洗者が与えられました。大きな喜びでした。

旧村田医院の会堂は最善でしたが、チャペルが次のステップへ進むためには、新たな会堂が必要でした。1999年、札幌新生教会に「追分めぐみチャペル会堂委員会」が設置され、新会堂取得に向けて具体案の検討が始まりました。新会堂は、勇払郡一円を伝道圏とする広域伝道のビジョンが与えられたことから、追分町若草三丁目(現在地)に土地を取得し、そこに会堂建築が始まりました。

2000(平成12)年11月12日、献堂式を迎えました。司式は7年前の開設式と同じく、黒木安信師でした。そして、この会堂建築を通じて、4名の受洗者が起こされました。

2001(平成13)年、毎週金曜夜に、「グッド・フライデー・ゴスペル」が始まりました。小倉政応師のギター演奏が用いられました。この年、教会学校から2名の受洗者が起こされました。

新会堂起工式後、雨の中での鍬入れ(2000.7.26)



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小倉師夫妻の宣教活動は、会堂の中に閉じこもるのでなく、スケールの大きいものでした。早来町(現安平町早来地区)や由仁町三川地区に、トラクトを配布しました。国道沿いにあるチャペルは、近隣の町々にも知られるようになりました。小倉ひとみ師はイラストを描くのが得意で、折々の集会案内に用いられました。

1998(平成10)年に始まった、追分中学校との共演による追分陽光苑(特養)でのクリスマス会は、施設の理解を得てすっかり定着しました。

2003(平成15)年、教会学校から2名の受洗者が起こされました。

追分の地で伸び伸びと伝道した小倉師夫妻は、2005(平成17)年、宇山福音教会(淡路島)へ転任となり、後任として千葉維保子師が着任しました。千葉師は自転車で高齢会員や町民の訪問に励みました。

2006(平成18)年、教会学校から1名の受洗者が起こされました。また、農村地域から毎週丘を越えて教会学校に通う子どもたちが与えられ、チャペルは活気づきました。「追分ひまわり合唱団」との交流も始まりました。

2003年4月の洗礼式後



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2006(平成18)年3月、追分町と早来町が合併して安平町が誕生しました。勇払郡一円への宣教をめざすチャペルにとっては伝道の好機到来でした。

CS(教会学校)生徒の成長のために、「YY(ワイワイ)クラブ」を結成し、町内の鹿公園でのスポーツ、酪農家訪問などのプログラムを持ち、町内交流を行いました。

2007(平成19)年頃から、CS生徒の保護者や近隣の婦人たちが礼拝や教会の行事に定着して出席するようになりました。千葉維保子師は町内会班長を引き受け、伝道に励みました。与えられた電動自転車は、町の人ぞ知る!町内から農村地をめぐる「伝道自転車」として用いられました。チャペルCSは日曜早朝から夕方近くまで、農村地域の子どもたちを預かりました。

2010(平成22)年、「献堂10周年本田路津子コンサート」を開催。町外からも含め、50数名の来会者がありました。

2011(平成23)年には、旭川星光教会でCS夏期キャンプを行い、清水真理師の救いの証しに導かれた生徒1名が、翌春受洗の恵みにあずかりました。

農村地のCS生徒送迎

千葉師の「伝道自転車」が活躍



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2011(平成23)年、チャペルにピアノが寄贈され、12月に奉献コンサートが行われました。ワールド・ビジョンによるチャイルド・スポンサー交流会の協力者黒柳真理姉のトークと、ひまわり合唱団の指揮者佐藤一恵先生の独唱で盛り上がりました。チャペルは、過疎化が進む勇払地域のオアシスとなりました。

追分に愛を注いで7年間宣教した千葉維保子師は、2012(平成24)年、ひばりが丘北教会(東京)へ転任となり、後任として菅原ひかり師が着任しました。菅原師は北海道生まれ、札幌ナザレン教会の出身であり、まさに神が追分のために備えられた伝道者でした。

同年11月、追分宣教80年・献堂12年感謝祈念伝道礼拝が行われ、菅原師の恩師にあたる久保木勁師(前札幌ナザレン教会牧師)が講壇に立たれました。

2011年 ピアノ奉献コンサート



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2013(平成25)年4月、子どもお楽しみ会を開始しました。この働きを通して、子どもたちがチャペルにつながりました。

同年10月、菅原ひかり師の父上が91歳で受洗したことは大きな喜びでした。

2014(平成26)年2月、チャペルのシンボルの一つである屋外の十字架が倒れました。一旦はあきらめかけましたが、不思議な導きによって同年9月に再建され、それがきっかけで、後に来会者が加えられました。

2016(平成28)年1月、60年前に信徒宅で開かれていた子ども会に出席していた兄弟が受洗しました。時間を超越した神の救いの実現でした。

2017(平成29)年1月、初心者向けに、「聖書との出会い」という会を始めました。これにより、チャペルが地域の人たちにぐっと近づきました。

同年6月、安平町が移住者を求めて、チャペルと同じ追分若草町三丁目の土地を格安で売り出しました。チャペルでは、クリスチャンが移住してくるようにと祈りました。翌年、チャペルから400歩の所に、クリスチャンの姉妹が移住してきました。

 

再建された十字架を背景に(2014年9月)



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2018(平成30)年9月6日午前3時8分、胆振東部地震発生。安平町は震度6強の激しい揺れに襲われ、チャペルの建物は損傷を受けましたが、菅原師をはじめ、信徒や関係者が無事であったのは幸いでした。

被災後、教団・教派・国を越えて祈りと支援が追分地域に向けられましたが、チャペルはそれを避難所や特養、仮設住宅に届けるパイプ役となることができました。小さなチャペルでも、教会のある町は神さまに覚えられていることを証しすることができました。

翌年4月、修復工事中の会堂で、教会学校生徒の洗礼式が執り行われました。菅原師にとって最初の授洗となりました。

被災者の支援活動を通して、チャペルは地域に一段と浸透することができました。町長夫妻や町内会の人たちも、チャペルの集会に来られるようになりました。

修復工事中の会堂での洗礼式の後に(2019年4月)



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2020(令和2)年4月、町内会の資料に追分めぐみチャペルの名前が載りました。チャペルが地域の大切な存在として認められたことを感謝し、聖名をあがめました。同年11月、献堂20周年記念感謝礼拝で、町長と町内会長が挨拶の言葉を述べてくださいました。

2023(令和5)年7月23日、開所30周年記念感謝礼拝の日を迎えました。地域の人たちをお誘いし、礼拝堂はチャペルにゆかりのある人々でいっぱいになりました。講壇に立った初代教師の中村(峯野)良恵師は、「アメイジング・グレイス」と題して、神の恵み深さを語られました。

この町には、私の民が大勢いる。」と仰せになった恵みの神は、追分の地を愛してチャペルを誕生させ、救いの御業をなし、ここまで30年間、導いてくださいました。主の聖名をほめたたえます。(完)

開所30周年記念感謝礼拝(2023.7.23)